警備業界の歴史・成り立ち
警備会社、産まれる
飯田と戸田、独立を決断
飯田 亮(創業者、現・最高顧問)は、昭和31年に学習院大学を卒業後、家業である、東京・日本橋の酒問屋・岡永商店(現・岡永)に勤め、営業を担当していました。
飯田は男ばかりの兄弟5人の5男坊で、上の兄が岡永に勤めていたため独立を考え始めていました。
また学生時代の友人であった、戸田壽一(創業者、前・最高顧問)とは、時々飲み、将来の独立を語り合う仲だったのです。
昭和36年の冬、浅草の鳥鍋屋で、飯田が戸田と、欧州帰りの別の知人と3人で食事した時、知人が「欧州には警備を業務とする会社がある」と教えてくれました。
飯田と戸田は、まだ日本にないビジネスであることから「これだ!」と独立を決断。
わが国初の警備会社を興すことにしたのです。
決断には30分とかからなかったそうです。
東京・芝公園に「日本警備保障」誕生
昭和37年7月7日、飯田と戸田は、日本警備保障株式会社(現セコム株式会社)を創業しました。
社名は、"警備"に、日本で初めての事業なので頭に日本をつけ"日本警備"にしさらに最後に"保障"をつけて、「日本警備保障」という社名が生まれました。
最後の"保障"という二文字には安全保障の"保障"と"補償"の思いを込めたそうです。
東京オリンピックの警備を受注
昭和39年、日本警備保障株式会社(現セコム株式会社)は、東京オリンピックの警備を受注し、無事、無事故で会期を終えたことで、社会から高い評価と信頼を得て、飛躍のきっかけとなりました。
テレビドラマ「ザ・ガードマン」放映開始
中央右が飯田、中央左が宇津井健
昭和40年4月から、日本警備保障株式会社(現セコム株式会社)をモデルとして、TBS系テレビドラマ「ザ・ガードマン」の放映が始まりました。
モデルとなったきっかけは、東京オリンピック後に始まった、帝国ホテルの常駐警備の警備員が、新しい仕事としてテレビ局のプロデューサーの目に止まったことでした。
このテレビドラマはその後大ヒットし、40%を超える高視聴率を記録。
放映期間も大幅に延長し、一世を風びするテレビドラマとなり、日本警備保障株式会社(現セコム株式会社)の知名度が一躍高まることになりました。
これらを機に、警備という職業が社会的認知を受けるようになっていきその後、警備会社が続々と創業。
現在の警備業界が形成されるに至りました。
警備業界の現況
- 市場規模 3.2兆円
- 会社数 9,200社
- 就業者数 53万(警察官の2倍強)
※警備保障新聞より抜粋 2017年3月現在
業界売上高ベスト10
- 1. セコム
- 2. 綜合警備保障
- 3. アサヒセキュリテイ
- 4. セントラル警備保障
- 5. 全日警
- 6. セノン
- 7. セコム上信越
- 8. セコムジャスティック
- 9. にしけい
- 10. コアズ
※警備保障新聞より抜粋 2017年3月現在